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あらゆる建築物は残すに値する

日本のまちなみが、しっとりとした落ち着きと親しみのもてる表情を備えることができず、いつまでたっても、ちぐはぐでよそよそしい貌をしているのはなぜか。

いくつかの原因があるだろうが、いちばん大きいのは、極端に短い建築寿命のせいだと思う。火災に弱く、ストックとしての建築を見てこなかった日本の伝統的木造文化のせいであるとか、戦後復興の応急処置建築の短寿命のせいとか、高度経済成長期の経済発展のスピードに合わせるための、間に合わせ建築のせいだとも言えるだろう。あるいはバブル時代の金儲けの手段としての建築づくりのために、まだ十分使い続けることのできる建築を、あっさり壊してしまったことなど、理由はいろいろある。

そもそも長持ちさせることをはじめから考えない建築づくり、まちづくりの結果が大部分の日本のまちの現状であることは間違いのないところである。
その結果、われわれが生まれ育ったまちの風景は一変し、毎日通った小学校や近所の風呂屋さん、角のたばこ屋さんや裏の雑木林など、ものの見事に、ことごとく無くなって、子どもの頃の思い出につながる建物や街角の風景は、まったく別の風景に置き換えられている。

その結果、戦後たかだか50年で、別に戦災に遭ったわけでもないのに、これだけ徹底して変わってしまったということは、我々の前の世代あるいは我々が、確かなものをつくりだしたり、残すことがほとんどできなかったということである。

神戸郊外の、例のA少年の育ったまちを評して、「あのような少年が出てきても仕方のない非人間的たたずまいのまちである。」という主旨の文章を書いている人がいた。事の当否は別にして、それを言うなら、わずか30年前のまちの表情の一片すら残してこなかった多くの日本のまちで育った少年(中年、老年も共に)たちは、どのような精神的な影響を受けてきたのであろう。

建築はまちの記憶装置だという。記憶のよすがを失った人間は何を拠り所に自らの人生を跡付け、自己のアイデンティティーを確認するのだろう。いささか遅きに失したものの、こう言い切るしかないように思う。「あらゆる建築物は残すに値する」と。

歴史的、文化的に価値があるから残すのではなく、その建築がそこにあるということに意味があると考えたい。残してよい建物と壊してもよい建物の線引きなどできないのである。建築物のもつ意味や価値をもっとふくらませ、広げる必要があると思う。地震に弱そうな建物は補強をすればよい。多少デザインのまずい建物には、ファサードに手を加えたり,木で隠すなり、とにかく一度建ってしまった建物は、寿命のある限り生かし続けると覚悟するのである。

地球資源の有限性や廃棄物問題、環境負荷の低減の必要性など、これからはスクラップアンドビルドの時代ではないということはもう言い尽くされている。建物は一度建てたら、そう簡単に壊せないこと、後々まで面倒を見る責任と覚悟が必要なことを建築主、設計者および施工者は共々に肝に銘じ、社会的資産としてキチンと残していける物をつくる必要がある。そこに込められた工夫や愛情が、よりマシなまちなみをつくり、時を経ると共に地域の人々にも親しまれ、愛される風景を形づくっていくと信じたい。

使い続け、住み続けるほど愛情の増す建築やまちをつくるためには、市民、設計者、施工者、行政おのおのの意識改革が必要だと思う。


建築ジャーナル 1998年 4月号

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