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不景気の極みの今こそ

日債銀が長銀に続いて国家管理になりました。前の国会で通過した金融再生法案による処理ということです。少し前にはゼネコン中堅の日本国土開発が破産申請をして会社更正法の適用を受けることになりました。そもそも銀行の国家管理や公的資金の投入も、金融秩序の維持とか債権者保護のためと言われていますが、実のところはバブルの頃の本業そっちのけで株や投機に走り、デベロッパーまがいの土地コロガシに精を出したゼネコンや、多くの企業にせっせと金を貸し付けてバブルを煽った銀行が、株や土地の値下がりで貸し付けがコゲつき不良債券化して困っているのを、国が尻ぬぐいをしてあげようということです。

バブルの当時、株や土地買いに手を出さない経営者は無能であると言われました。そして多くの企業が相場の動きに一喜一憂し、値上がりを期待して土地を買いました。その方が本業よりはるかに楽に儲けることができたのです。しかし、汗を流さず金を稼ぐことに違和感や危惧を持つ経営者はいたし、バクチ的金儲けに 嫌悪感を抱く個人も少なくなかったはずです。リスクのないカケ事はないのであり、カケに負ければその責任は当事者の法人なり個人が負うのは当たり前のことです。他人にツケを回すなどは論外です。バブル処理のゴタゴタを見ていていちばん不快なのは、時代が悪かったということで、責任の所在をアイマイにしたまま、問題を先送りしようとしているのが透けて見えるからです。

第二次世界大戦の敗戦後、一億総ザンゲ論といことが言われました。戦争に向かって国が走り出したときに、ほとんどの国民が戦争を回避する有効な手が打てな かったこと、あるいは程度の差こそあれ積極的に荷担したことに対して全国民が反省するべきであるという論です。それに対して時代の流れに抗して、当時の困 難な状況の中でもハッキリ戦争反対を主張した人々がいた事実を挙げ、ミソもクソも一緒にするような論に反論する意見もありました。今回の政治主導の一連の動きも、総括抜きの戦後処理とダブって、われわれの国民性とも言える抜きがたい特性が見えてきて、何ともやり切れない思いがします。

かつて友人の建築設計者と酒を飲みながら話し合ったことがあります。二人とも大学を出て4~5年で、建築家といわれる人のアトリエ事務所で仕事を教わりな がら,設計のむずかしさや面白さがわかりかけてきた頃です。毎日夜遅くまで仕事をするのが苦にならなかった頃の話です。「建築設計の仕事って金が儲からな いから良いんだよな。」「他人の金でこんな面白いことやってるんだから、もしこれで金がいっぱい入ったら、金儲けのために建築設計の仕事をやりたいなんて奴が出てくるぜ。」仕事がキツく、給料も安いことに対する負け惜しみもあったように思いますが、結構大真面目でそんなオダをあげていたことを思い出しま す。バブルの頃は設計の世界でも、にわかデベロッパーやゼネコンと組んで、かなりあやしげな仕事に手を出していた人もいたようですし、大部分の設計者が多かれ少なかれ空前の開発・建築ブームのオコボレにあずかったことも事実でしょう。誰だってお金は不自由しないし程度にはある方がよいに決まってます。しかし、まともな建築、人に喜ばれる建築、自分で納得のいく建築を設計するためには、それ相応の集中力とエネルギーと時間が必要です。楽してお金が稼げる仕事ではないように思います。

依頼主をはじめとして、地域や環境のために良かれと思って仕事をしている少なくない数の設計者の思いは、残念ながら、なかなか世の中の理解が得られないの が現実です。それも元はと言えば、我々自身のまいた種のせいであり、理解を得るための地道な努力の不足によるものと思います。バブルのはじけた不景気の極 みの今こそ、建築設計者の社会的責任ということを問い直し社会にもアピールをしていく良い機会のように思います。


建築ジャーナル 1999年 2月号

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「アジアの街で考えたこと」
建築ジャーナル 2000年11月号
「実感に裏付けられた自然観を」
建築ジャーナル 2000年7月号
「再び都市へ」
JIA機関誌 Bulletin 2001年5月15日号
「医師、弁護士、建築士」
建築ジャーナル 2000年3月号
「デラシネ建築家からコミュニティー建築家へ」
東京自治問題研究所 月刊東京
2000年2月号
「建築家は裸の王様か」
建築ジャーナル 1999年11月号
「公共意識の希薄化と新しい絆の回復」
建築ジャーナル 1999年8月号
「建築設計者は誰の味方か」
建築ジャーナル 1999年5月号
「不景気の極みの今こそ」
建築ジャーナル 1999年2月号
「絶対空間」
建築ジャーナル 1998年11月号
「想像力の衰退と環境ホルモン」
建築ジャーナル 1998年8月号
「あらゆる建築物は残すに値する」
建築ジャーナル 1998年4月号