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建築家は裸の王様か

先日ギリシャ、台湾で起こった地震で、倒壊して死者を出した建物の設計者と施工者が、逮捕されたという報道がありました。日本においては、あれほど多数の死傷者を出した阪神・淡路大震災でも、民事訴訟は別にして、刑事責任を問われた話は聞いていません。

最近ますます欠陥建築の被害報告や訴訟が増えています。ジャーナリストや弁護士による欠陥原因の調査や分析も出されていますが、施工者やハウスメーカーの責任を追及、欠陥防止の役割を期待する論調は意外なほど少ないのに驚かされます。欠陥建築をなくすための、消費者にとって力強い味方になるはずの設計者に対する期待の声がなぜ起こっていないのでしょうか。

現在、建築士の資格を持つ人は1級・2級を合わせて60万人とも70万人ともいわれています。これらの資格者は建築設計事務所以外にも建築施工会社やハウスメーカー、不動産デベロッパーや各種建材メーカー、あるいは学校や役所など、実に広範な業種に分散しています。実際に業として設計監理をしている人は資格者のうちの1割に満たない5万人程度といわれますが、実体はよくわかりません。またそのほとんどは株式会社という営利(金儲け)を目的とした組織を経営したり、その一員として働いています。今消費者が求めるような、本当に公平な立場から建築づくりのプロセス全体に関わり、社会のストックとなるような、安全で耐久性があり、かつ美しい建築を作るために仕事をする設計監理者というのは、現行制度の中ではキチンと位置付けされていません。もちろん個人のレベルで誠実に仕事をしている設計者が少なくないことも事実ですが、個人の倫理観でやれることには限界があります。現行の建築士法では、建築の設計監理のことが全くわからない素人でも、建築士の資格を持つ人を雇えば、いつでも建築設計事務所の主宰者になれます。

「カリスマ美容師」とかでマスコミをにぎわしていたスター美容師が、実は無資格者だったということがニュースになっています。実は「カリスマ建築家」といってよいくらいの有名建築家の中にも、建築士の資格のない人がいます。先述したように所員に有資格者を雇えば、設計者として通用してしまうわけです。美容師と同じように「うまけりゃいいじゃないか」で済まされるのでしようか。ここにも現行建築士法の危うさが露呈しています。

社会の側の設計者に対する信頼の低さは設計者側のモラルの低下を招きます。モラルの低い設計者の存在が消費者の不信感を増幅させます。この悪循環を断ち切らなければなりません。多くの設計者は、欠陥建築問題で取り上げられる構造的な安全性の確保や雨漏りの防止は、建築を設計する際の基本中の基本だと思っています。さらに使いやすさや快適性はもちろんのこととして、その建築が建つことによって周辺の環境も美しくなるような建築をつくることにこそ、我々の目的と努力があるのだと考えています。しかし設計者のその思いは、基本すら満足に満たせない今の建築生産システム全体に向けられた、消費者の不信感のもとでは 無力なものです。

その他建築コストのわかりにくさや、大型プロジェクトにおける不透明な金の流れ、設計入札という理不尽な制度など、市民とともに改善の行動を起こさない限り解決できない問題が、他にもいろいろあります。日本建築家協会(JIA)が進めている新しい建築家制度づくりの運動も、日常の活動を通じて市民の理解と共感を深めていく努力なしには、裸の王様の独りよがりになりかねないと思います。


建築ジャーナル 1999年 11月号

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「アジアの街で考えたこと」
建築ジャーナル 2000年11月号
「実感に裏付けられた自然観を」
建築ジャーナル 2000年7月号
「再び都市へ」
JIA機関誌 Bulletin 2001年5月15日号
「医師、弁護士、建築士」
建築ジャーナル 2000年3月号
「デラシネ建築家からコミュニティー建築家へ」
東京自治問題研究所 月刊東京
2000年2月号
「建築家は裸の王様か」
建築ジャーナル 1999年11月号
「公共意識の希薄化と新しい絆の回復」
建築ジャーナル 1999年8月号
「建築設計者は誰の味方か」
建築ジャーナル 1999年5月号
「不景気の極みの今こそ」
建築ジャーナル 1999年2月号
「絶対空間」
建築ジャーナル 1998年11月号
「想像力の衰退と環境ホルモン」
建築ジャーナル 1998年8月号
「あらゆる建築物は残すに値する」
建築ジャーナル 1998年4月号