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デラシネ建築家からコミュニティー建築家へ

広島で生まれて、10歳から東京に暮らして四十五年になります。途中結婚して所沢市や川崎市に住んだ事はありますが、職場は都内でしたから、意識はずっと都民です。現在は杉並区に住み飯田橋で設計事務所をやっています。

地方都市で設計事務所をやっている建築家仲間を訪ねて、いつもうらやましく思う事があります。地元で育ち、東京とか大阪などで何年間か学校に通い、事務所 勤めで経験を積んだ後、故郷の街に帰って設計事務所をやっている人がほとんです。自分が設計を手がけた建物の大部分は、車で三十分も走れば行ける所に在り ます。街を歩いたり、行きつけの飲み屋に顔を出せば、知った顔の何人かに出会って、世間話のついでに、自分の設計した建物の評判を聞いたり、増改築の相談 を受けたりする訳です。お互いに顔の見える範囲で仕事をしているという安心感と責任感の中で、地域に根付いた仕事をしているという実感が持てる様です。

東京で仕事をしている建築家の多くは、仕事場と住居も離れており、住まいのある地域の人とは隣人位しか面識が無いというのが殆どでしょう。設計する建物も、広域で仕事をしていると言えば聞こえは良いですが、初めて訪れた場所で仕事をする事も多く、建築主(自治体の場合は担当者)以外の地域住民とは話をする機会もないのが通例です。建物竣工後の評価も、好評・悪評に関わらず、間接的にしか聞こえて来ません。小中学校の校舎や図書館、各種福祉施設など、地域の文化や生活に密接な関わりを持つ身近な公共施設の場合も、東京では、いつの間にか計画され、建設が行われています。計画や設計の中身に市民が意見を言う機会は殆どありません。

ましてそれら施設を手掛けた建築家の人となりや、作品の傾向・評判などを市民が知っている場合というのは、よほどの有名建築家でない限りマレでしょう。高層マンション建設による環境破壊に反対する運動や、在宅介護支援施設の要求運動をキッカケに、街づくりや地域活動に関心を持つ市民が増えています。その様な市民と一緒に考え活動することで、デラシネ(根無し草)的建築家から、地域に足を着けた建築家に脱皮したいと考える設計者が、東京にも増えて来ています。頻発する欠陥建築問題や環境問題、快適な街づくりなど、市民と建築家が共に取り組むべき課題は一杯あります。市民の側からも気軽に建築家に声を掛けて欲しいと思います。


東京自治問題研究所「月刊東京」2000年 2月号

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「アジアの街で考えたこと」
建築ジャーナル 2000年11月号
「実感に裏付けられた自然観を」
建築ジャーナル 2000年7月号
「再び都市へ」
JIA機関誌 Bulletin 2001年5月15日号
「医師、弁護士、建築士」
建築ジャーナル 2000年3月号
「デラシネ建築家からコミュニティー建築家へ」
東京自治問題研究所 月刊東京
2000年2月号
「建築家は裸の王様か」
建築ジャーナル 1999年11月号
「公共意識の希薄化と新しい絆の回復」
建築ジャーナル 1999年8月号
「建築設計者は誰の味方か」
建築ジャーナル 1999年5月号
「不景気の極みの今こそ」
建築ジャーナル 1999年2月号
「絶対空間」
建築ジャーナル 1998年11月号
「想像力の衰退と環境ホルモン」
建築ジャーナル 1998年8月号
「あらゆる建築物は残すに値する」
建築ジャーナル 1998年4月号