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医師、弁護士、建築士

最近、不思議なほど論点が類似した2つの文章を目にしました。1つは医学教育の問題点と医療改革について述べた聖路加病院理事長、日野原重明氏の文章「日 本の臨床医学の教育はどのレベルにあるか」(学士会報1999-7)です。もう一つは“平成の鬼平”と異名をとる弁護士の中坊公平氏が書いた「金権弁護士 を法で縛れ」(文芸春秋1999-12)という司法改革についての文章です。日野原氏はアメリカ留学の経験から、日本の医学教育の臨床部門軽視の問題点 と、医師になるための適性について書いています。日本の医学教育は2年の教養と4年の専門を合わせて6年になっており、臨床研修も義務ではなく自由に選択 ができるのに対し、アメリカは4年制の大学プラス4年制の医学校で8年制になっており、臨床は1年生から学ぶそうです。また日本の学生で、医師を志す動機 が「病む人のため使命感を持って努めたいから」という人は稀で、医者という職業が安定しており収入も良いということで志望する人が圧倒的に多いこと。アメ リカでは医学部を志望して面接にパスするために、ボランティア活動の経験の有無や、人間の命に対する関心への実証を1,2日がかりでじっくりチェックされ るのに比べ、日本ではせいぜい10~15分の面接だけだということです。中坊氏は今の司法修習生たちは「公共的使命を本気で考えている弁護士などいるはず が無い」と決めつけてかかっており、お金万能主義の風潮がはびこっていると嘆いています。司法試験に合格してからでは遅く、その前の法曹を志す段階が重要 だとしています。公共の役割を果たす気持ちの無い人にはやめてもらうべきだし、大学教育の中身と法曹養成のあり方根本的に変えなければいけないと主張して います。

両氏の専門職業人としての医師なり弁護士なりの現状に対する危機意識は驚くほど似ています。そしてこれらは現在日本建築協会(JIA)が主張している現行 の建築士制度の改革の必要性の論点とも、ほとんど一致しています。JIAが推進しようとしている新しい資格制度の骨格は教育制度の見直しと評価の導入、実 務研修年限の延長、生涯教育の義務付けなど、建築設計者が専門職業人として当然身につけるべき内容を盛り込んだものです。しかし両氏がともに強調している 人格的な適正については建築士の場合、公共的使命への自覚の検証方法など、まだ十分に議論されているとは言えないと思います。最近社会問題化している欠陥 建築被害の増大や、環境破壊に対する建築設計者の果たすべき役割と責任など、建築士の公共的指命も医師や弁護士に劣らないほど重要だと思います。両氏がそ ろって指摘しているように、社会が必要とし期待する専門職業人のあり方や適正を決めるのは市民であるということかすると、建築士制度の改革に向けた市民と の開かれた議論が今こそ必要だと思います。


建築ジャーナル 2000年 3月号

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「アジアの街で考えたこと」
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「実感に裏付けられた自然観を」
建築ジャーナル 2000年7月号
「再び都市へ」
JIA機関誌 Bulletin 2001年5月15日号
「医師、弁護士、建築士」
建築ジャーナル 2000年3月号
「デラシネ建築家からコミュニティー建築家へ」
東京自治問題研究所 月刊東京
2000年2月号
「建築家は裸の王様か」
建築ジャーナル 1999年11月号
「公共意識の希薄化と新しい絆の回復」
建築ジャーナル 1999年8月号
「建築設計者は誰の味方か」
建築ジャーナル 1999年5月号
「不景気の極みの今こそ」
建築ジャーナル 1999年2月号
「絶対空間」
建築ジャーナル 1998年11月号
「想像力の衰退と環境ホルモン」
建築ジャーナル 1998年8月号
「あらゆる建築物は残すに値する」
建築ジャーナル 1998年4月号